欧米でも住宅が建てこむ地域は少なくないが、広い庭がとれない場合は、塀など作らず、道際から建物が立ち上がる。塀をやめた分だけ、道幅が広がるし、歩道もとれるようになる。京都も江戸・東京も、商家と長屋は無塀状態を町の伝統としてきた。田舎の田園地帯も変わらない。農家に生け垣はあるが、それはいわゆる塀とは違う。塀は門と組になって、敷地を外に対し閉じる働きをするものだが、農家の生け垣には門はなく、閉していない。
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誰でも庭先まで入ってゆける。では、ニックキ塀は、どこに由来するんだろう。下町でも田園地帯でもないとすると、残る場所は、下町と田園地帯の中間、そう、江戸・東京でいうなら山の手あたり。江戸の山の手には武家が住んでいた。武家の住まいは、大は将軍、大名から小は御家人まで、絶対に塀と門は欠かせない。武士たるもの、身には刀を、家には門塀を帯びるのが習いであった。門はその作りで格式を示し、塀も同じ。武士たちが門塀を帯びたのは、刀と同じように、戦う道具としてだった。たしかに、敵の屋敷に討ち入るなんてことは源平の頃から戦国時代まで日常茶飯だから、門塀は丈夫に作らなきやいけないし、立派に強そうに見せると、それだけで威嚇効果は上がるというもの。門塀は、どこの国でも、源をたどると、戦に行きつく。日本の場合、弥生時代にはすでに集落を守るための柵が巡らされていたし、大陸では都市全体を巨大な城壁と城門で囲むのが一般だった。当初は集落や都市全体を守るための柵や壁が、しだいに個々の家までレベルダウンして塀になったにちがいない。